悪魔が来りて笛を吹く

ほんとうをいうと、私はこの物語を書きたくないのだ――

 日本を震撼させた毒殺事件の天銀堂事件、その容疑者とされた没落華族の椿英輔子爵は、娘の美禰子(みねこ)へ「悪魔が来りて笛を吹く」と書かれた遺書と、同じ名のフルート曲を遺して自殺した。

 昭和22年(1947年)9月28日、父が残した遺書を持参し、美禰子が金田一を訪ねる。

彼女の母・秌子(あきこ)が父らしい人物を目撃したと怯えていることから、母を利用して、誰かが怖ろしい企みをしているのではないかという相談をする。

明晩、母を落ち着かせるため、子爵の安否を確認する砂占いが行われるので、金田一はそこで椿家の人々を探ることになる。

 


原作

作者:横溝正史(1902~1981)

初出:1951年

   探偵小説雑誌『宝石』連載

収録:『悪魔が来りて笛を吹く』

   角川文庫、出版芸術社(出版社芸術社の本作は解説がついており、一見の価値あり)

 

 金田一が復員した翌年の昭和22年、戦後の混乱期に起きた事件。

作品でいうと「黒猫亭事件」(東京)と「夜歩く」(岡山)の間の話。

 

 太宰治の「斜陽」と世間を騒がせた帝銀事件を織り交ぜながら、特権階級の没落と退廃を描いているのが特徴。

代表作「獄門島」や「犬神家の一族」のような田舎の因習や因縁の話とは違った、陰惨さを持つ。

 東京を舞台とした金田一の、いわゆる「都会もの」はインモラルな内容が多く、読み手の好みがわかれる。

その中で本作は人気作。

 



以下、原作や動画のネタバレを含むため注意!


【目次】


原作とスケキヨ版との大きな違い

細かい部分抜きに、原作との違いは以下のようになる。

  • 登場人物の人数
    (秌子付き婆やの信乃、金田一と須磨へ向かう若手刑事の出川が未登場)
  • 金田一の帽子が壺にひっかかる描写と、それに関連する出来事の削除
  • 玉虫殺害現場で見つかる、血の火焔太鼓とそれに関する出来事の削除
  • 秌子の証言の追加
    (原作は信乃と目賀の妨害で、秌子は事件の証言はしない)
  • 利彦による痣の証言時に美禰子を同席させる
    (利彦と美禰子の諍いは、原作だと利彦殺害前の食卓)
  • YとZの真相が判明するタイミング(原作は須磨旅行の前に発覚する)
  • 須磨旅行での時間経過(原作はもう一泊する)以降の時系列
  • 飯尾の関与を疑うタイミング(原作は利彦殺害後)
  • 玉虫殺害のトリック説明(原作は犯人指摘直前に一括)
  • 怪しい人物(犯人)特定後の金田一たちの行動(原作は暫く泳がせる)
  • 秌子の死に方(原作はちゃんと殺される)

※カットに伴い使用されなかった素材

本当は壺自体が竜とかついてゴテゴテ

 


動画にする時に立ちはだかった一番の難問は、長編を短く再構成することにあった。

そのため、どのエピソードを削るか思考錯誤の繰り返しだった。

横溝作品は関係者間にある特殊な因縁と、その理由に対して重きが置かれると私は考えているので、人物描写は出来るだけ削らず、トリックの削除や省略、説明の簡素化に努めた。

時代背景も事件を成り立たせるために重要なので、出来るだけ説明を入れた。

しかし、それでも膨大な内容な上、人数も多い早口の三本柱で分かりづらさが残ってしまった。

 また、背中や指がない事実をどう補うかも私を悩ませた。結局、1977年古谷版の力を借りて妥協する。

追記:最終版で古谷版ドラマ画像を使用しなくなった。

 


登場人物について

金田一耕助

 見た目はみすぼらしいが、天性の話術を持つ探偵。

どの作品にも言えるが、全体的に暗い雰囲気の物語のため、それに引っ張られないよう、第三者で客観的な目線を保つようにした。

原作だと内情が細かく書かれており、悲しんだり恐怖したり怒ったり、ウィルヘルム・マイステルに憤ったりと、心の中が忙しい。

 金田一の推理は、関係者たちの関係と人物像を基に、論理的に詰めていくスタイルだと私は解釈しているが、その反動で文字情報が多くなってしまった。

字幕で補いはしたが、少々展開が早すぎたのが反省である。


 原作よりも犯人の指摘を早くしたのは、尺の関係と事件真相の解決を優先する「金田一流ヒューマニズム」の折衷を悩んだ末。

犯人を泳がせることはしないが、犯人に会話の主導権を握らせ、事件を明らかにする「賭け」に出たような描写にした。

これについては賛否両輪あるかもしれないが、私の脳みそはこれが限界。

 

 hitohira氏のゆっくり文庫(以下、本家と略す)を踏襲して【きめぇまる】を抜擢。その方が親しみやすいのではないのかと判断したため。

当初は自作素材を使用していたが、本家が素材の公開をされたので有難くお借りした。この場を借りて御礼申し上げます。

 

※参照:本家ゆっくり文庫の金田一



協力者たち

 等々力は警視庁捜査一課の警部で、作者曰く竹を割ったような性格

昭和22年3月の事件(参照:短編「暗闇の中の猫」)で二人は初めて出会い、以降、東京を中心とした事件での相棒となる。

 原作や他作品でも、金田一の推理に全幅の信頼を寄せて一貫して聞き手だが、それだと動画化した場合単調になるので、一緒に推理をしてもらった。

推理自体は不正解だが、的を得た発言もちらほらある。

 本家金田一から【まりさ】を抜擢。本家の「そして誰もいなくなった」やウルスラ氏の「マクベス」では艶っぽい役を演じるが、こちらでは徹底的におじさんをしている。帽子を脱ぐ関係で若干改造した。


※参考:ウルスラ氏の「マクベス」

 Y先生こと作者の横溝も金田一シリーズで「記録者」の立場で登場する。

記録者となったいきさつは、金田一の若い頃の事件(参照:「本陣殺人事件」)をY先生が情報を集めて作品化したものを金田一が読み、小説化を認めたというもの(参照:短編「黒猫亭事件」)

 動画では声のみ、ゆっくり系動画でなじみ深い【れいむ】に任せる。

尺の都合で、事件の詳細や時代背景の説明など、活躍していただいた。

 話だけだが、岡山の相棒である磯川警部も登場する。

彼は、前述した「本陣殺人事件」が初登場。

間接的だが、金田一の二人の相棒が協力し合う形になる。


 金田一の住居、割烹旅館「松月」の女将おせつ(節子)は、金田一の支援者で旧友で土建屋社長、風間俊六の愛人。

年下だが姉のように世話を焼いてくれる上、小遣いまでくれる良い人。

金田一が復員後は、京橋裏の焼け跡に残った「三角ビル」という怪しいビルを事務所兼自宅にしていたが、風間の厚意で昭和22年「松月」の離れに居候してここを事務所兼自宅にする。この生活は昭和31年ごろまで続く。

 配役はなんとなく【さなえ】にした。もし風間が動画で登場するなら【かなこ】がレギュラーになるかもしれない。

 


椿美禰子

 健気かつ勇気ある本作のヒロイン。

原作を読んでいただくと分かると思うが、実は美人ではない。

父亡きあとの椿家を懸命に守る女傑である一方、容姿への劣等感や母方の親戚への反感、母の浅ましさなどに悩み、涙することが多い。

 父親思いの娘ではあるが、手帳に遺された「悪魔の紋章」を「父の頭もすこしどうかしていたんだろうくらいに考えて」いたので、案外冷静である。

 母親を「無邪気」「可哀想」「罪のない」と表現していることから、「嫌い」の一言で片付かない、複雑な心情を抱いていると私は解釈する。


伯父に対する「お兄さま」の言い方に悪寒していることから、母親が「若い女」を出していることに嫌悪感は抱いているが。

しかし、本当に嫌いなら、いくらタイプが欲しくてもプライドが邪魔して「おねだり」することは出来ないだろう。

 配役は美少女ではあるが「妹」「八重歯」の属性で【ふらん】を抜擢。

表情は常に気難しそうにして、時折驚いたり笑う時は天真爛漫にしたつもり。

レギュラー配役を除き、二番目に配役が決まったキャラクターである。

 

新宮華子、一彦


 ある意味強い二人。

夫や父親がクズだと悪い方向に性格がねじ曲がるのが一般的だが、表面上でそれを一切出さず、慈悲の心を忘れていない。

 華子に関しては、夫の落胤に対して手を差し伸べようとしたり、椿家の使用人であるお種を「お種さん」と謙虚に呼ぶ淑女。

この徹底的な姿勢は、犯人が信頼するのも納得である。

 


 一彦は叔父にフルートを習っていることからそちらは慕っている。

一方、父親に関しては出掛ける時に無視して母のみ挨拶するなど、小さな抵抗は見せる。

楽譜を託されたという設定は動画オリジナル。原作は影が薄い分、活躍させたかった。

 親子にしやすそうなキャラクターから【ゆゆこ】と【ようむ】を採用。

一彦が推理を披露するアレンジは、キャラクターに個性を持たせる意味と、本家の「マープルシリーズ」へのリスペクト。

 

お種

 7年間、椿家に仕える働き者。

落ち目で陰湿な雰囲気の家中から逃げ出さずにいたのも、主人の英輔が出来た人間だったからかもしれない、普通なら逃げたくなると思う。

 原作では子爵生存説を浮かび上がらせたり、年齢的なものもあってミスリード要員となっている。

余談だが、1979年映画版ではかなり重要な役割を担うキャラクターである。

 従順な働き手として【ちるの】を採用。

一途に子爵を主人として慕う姿勢が出せると思った。

犯人の告白をストレートに聞かせるのは酷だと思ったので終盤は退席頂いた。

 


菊江


 玉虫の愛妾。

元は花柳界にいたため、しぐさや言動、容姿が男を惑わす魅力に溢れる。

秌子が肉感のある色っぽさの女性であるのに対し、菊江は「痩せぎすの、背の高い、姿のよい女」と表現され、現代の感覚に近い美人として対になる。

 通常、主人の玉虫が死ねば椿邸から追い出されるはずだが、彼女の持つコケットリーで明るい空気を、皆が必要とし居続けることが出来た。

 原作では金田一と推理談義して機知に富んだ面を見せたり、恋人への思いを貫く様子は本作のある種オアシスであった。

彼女は、貴族社会と世間のズレを読者に認識させる機能を果たしている。

 配役は、もう貴女しかいませんと【ありす】。

レギュラー配役を除き、本作で最初に決まった配役である。

 


目賀重亮


 秌子の主治医(夜の鎮静剤)

蟇仙人」は作中のあだ名で、自分でもそう言っておどけたりする。

占いは北京で覚えたらしく、椿邸で秌子をはじめ奥様方を集めてよく開催。

 英輔の遺体発見から時を待たず秌子と夫婦になり、以降は人目を憚ることなく性活しているので、このデリカシーのなさは読者に反感を買いやすい。

一応弁明すると、使用人や刑事に気さくな点は良いし、秌子との関係は英輔の死後からとなっているので、そのあたりは一応常識がある(ただし、新宮時代からの主治医だったらしいのでゲスの勘繰りが働く)。


しかし機嫌が悪いと攻撃的、秌子を「所有物」と見る節があり、貴族でないにせよ上流階級の社会につかりきった人間。

 配役は「蟇仙人」→「蛙」→「早苗」の一人連想ゲームで【かなこ】になる。

 

新宮や玉虫とは違う第三勢力としての貫録を出したかった。

 余談だが、原作ではもう一人、秌子セコムとして婆やの信乃がいる。

彼女も秌子の独身時代から仕える身で、秌子をいつまでも「お嬢様」と呼んでいる。

犯人曰く、新宮兄妹の子が辰五郎に預けられた時、玉虫に付き添っていたらしい。

尺と画面の饅頭密度の高さから、動画では未登場。

その代わり、目賀のセコムを強化したり、秌子が動きやすくなる分、娘の美禰子と絡ませるオリジナルを入れた。

 もし、登場させるなら【よしか】になったであろう。

 


関西で出会う証言者たち

 三春園の人々だが、かなりやり手である。

動画で省略したが、女将は人脈を駆使して英輔を淡路に連れて行った漁師を特定したり、金田一の説得以降の捜査協力は目覚ましい。

おすみは観察眼が鋭く、更に論理的思考が働き、侮れない。

 英輔が潔白であることの大きなヒントを与えるので、英輔役【ゆかり】の部下である【らん】と【ちぇん】を採用した。

特に【ちぇん】は、本家の「ホームズシリーズ」での活躍もあるので納得していただけたのではなかろうか。


 妙海の師匠である慈道は、駒子の身の上を知り、椿家の関わりを知る上での重要な証人となる。

この人が聞いたという駒子の話だけでは、事件の全貌は分からないが、終盤になって全ての意味が繋がっていく。

 駒子が尼になるのは、駒子が女中をする溝口家が大変な慈道さん崇拝者であることがきっかけになる。

その時から駒子は「自分は罪深い女」だと思い悩んでいたらしい。

 【いちりん】との関連性と寺の印象から【ひじり】を採用した。


 動画では未登場だが、原作だと関西への調査は出川という刑事が担当し、等々力は留守を守る。

出川は金田一より2、3歳下の刑事で、再調査なら白紙で調査しようとの方針から大抜擢された若い刑事である。

当然、張り切っており最初は功を焦る節が見受けられるが、捜査の執念凄まじく、金田一が利彦殺しで東京へ帰った後も須磨に残り、小夜の自殺の裏付けや、行方不明だった辰五郎の妾おたまの居所を掴み、重大な事実を明らかにする。

 もし登場するなら【しゃめいまる】を起用していただろう。

 


椿英輔


 この事件に巻き込まれたと言っても過言でない。

英輔が家名を気にする理由が現代の価値観では分かりづらいが、原作を読むかぎり、おそらくは以下のような要素が絡んでいると思われる。

  • 椿家は元々は堂上家(上級貴族、公卿の総称)でかなり高い家柄だった
  • 維新後は傑物が現れず英輔の代では子爵の体面を保てぬほど困窮
  • 貨殖の道に長けた新宮家(大名華族)との婚姻で財政は救われる
  • 婚姻と引き換えに、英輔の両親は同居を許されず、妻の母と同居
  • 英輔は温厚すぎて社会的な勢力に関心がなく、無能と蔑まれる

 貴族としての体面を、自分をなじる妻の親族を頼らなければならない現実に屈辱を感じつつ、自分と娘の美禰子は本物の貴族でいようというプライドがあったのではないか。

だから、酷い仕打ちがあればあるほど、その思いを支えに生きていこうという決意が固くなったのであろうと私は解釈する。

結果として、犯人にそこを付け込まれる(犯人曰く「子爵は私にとって、家名という鎖につながれた犬も同様だった」)

 しかし、何でも犯人の言いなりだったと私は思っていない。

無論、家名への傷や犯人への恐れ、同情という要因もあるだろうが、そこに弱者なりの強い決意もあったと思う。

残酷で取り返しのつかない事実を知った英輔は悩み考えた末に、陰惨な過去の清算を犯人と娘たちに任せ、双方にとって良い決着になるよう取り計らう、その代わりに何も出来ない弱い自分はボロボロにされていいという気持ちもあったかもと解釈。

少々深読みかもしれないが、原作冒頭「気の弱さの底に、いざとなれば、いつ爆発するかもしれぬ、強い意志を示している」とあるので、それぐらいの強い覚悟があっても不思議でないと思う。

 少々イメージと異なるかもしれないが、高貴な人と強い意志を持つという意味で【ゆかり】を抜擢、若干改造。

本当は娘と仲睦まじい親子パートを入れる予定だったが、尺の関係で断念した。

 

堀井駒子

 ひと夏の出来事が全てを宿命づけられてしまう、最も同情禁じ得ない女性。

父親や旦那に恵まれていない、男という生き物に振り回され続ける。

旦那に暴力を振るわれようと、何があろうとも小夜の父親について決して口を割らないほど慎み深い古風な女性で気性が大人しい。

ゆえに、怖ろしい体験と事実を封じるには、客観的には適任だったのかもしれないが、その業を背負わせ続けるにはあまりにも残酷であり、何か不測の事態になった場合、自身を含めて多大な犠牲を払わねばならなくなる。

 これは願いでしかないが、娘の小夜との思い出は穏やか幸せであって欲しい。

そうした気持ちもあって、回想パートを作成した。


 尼であること、出家前後の差分がつけやすい【いちりん】に演じてもらった。

原作では「お駒」「駒子」両方で呼ばれていたが、辰五郎の妾「おたま」と混同しやすいため「駒子」で統一した。

 

堀井小夜


 作中でも常に美少女の扱いで、謎多き女性

これは想像に過ぎないが、自殺を決意した要因は以下のようなものだと思う。

  • 母が強姦された末に生まれた娘と知り、自分の生存理由に悩む
  • 愛する男が異母兄、しかも兄妹の近親相姦で生まれた不義の子と知る
  • 異母兄と共に、父とその妹と同じ過ちを犯したことを知る
  • 一般的な近親相姦への嫌悪感を持っていた
  • 我が子が自分達と同じ業を背負う宿命を絶たねばならない
  • 兄への思いを断ち切り人生を歩むことが出来ないほどの激情を抱えていた

自分の宿命への決着と、夫と子への愛を貫く形が「自殺」だったと解釈する。


 名前と見た目、犯人やヒロインとの関係から【さくや】を起用。

私個人的感情から、妊娠を喜んでいたというオリジナルを追加した。

横溝が生存していた本作の版では、名前が「小夜」になっていたので、動画ではそれを踏襲(短いし)。

なお、角川文庫の新版(平成8年9月改版)以降は「俗名堀井小夜子」となっている。

 


玉虫公丸

 この人の経歴を簡単に記すと、戦前は研究会(貴族院の政党、一大勢力)を牛耳り、大臣には就かず、裏から政界を操っていた実力者である。

姪の秌子を可愛がり英輔をフルートしか吹けない無能と罵る反面、酒と女とゴルフしかない生活無能者の甥は「さすがにお殿様らしい」と意味不明な絶賛を贈るところから、身びいきの強い性格をしている。

 家名と権力で強引なやり方をしていった結果、それではどうにもならない憎悪の力の前に屈する、あっけない死に方をした。


 性格はまったく違うが【ゆかり】が苦手意識を持つ、実力者の閻魔【えいき】を採用した。

作中ではほとんど喋らないが、事件の背景に暗躍する重要な役を担ってくれた。

 

 美禰子の話から、玉虫家を中心に代々近親婚が続いていることが分かる。

コメントで「ハプスブルク家」を指摘する方がいたが、確かに上流階級の考え方として通じるものを感じる。

簡単に説明すると、スペイン・ハプスブルク家が近親婚を繰り返した背景には「厳格なカトリックで、プロテスタントや正教会の王侯との結婚ができない」「ヨーロッパ屈指の名門で家格の低い諸侯との結婚ができない」「フランス王家とは敵対し婚姻不可」「結婚可能な同格の王家がなくなる」というものがあるが、一応カトリックは近親婚を禁止し、破れば破門になる(例:フランスのベルト・ド・ブルゴーニュ)

ただ、この時は権力に物をいい、カトリック教会に特別免除をもらうなどして、見逃してもらうことが多かった。

 純血と家格、権力の集中が優先事項となれば、タブーを犯すことに抵抗ないのは古今東西に共通する。

公丸の身びいきの強さは、そうした精神からきているかもしれない。

 

新宮利彦

 全ての元凶といわれ、横溝ファン主催「横溝クズ選手権」では必ずと言っていいほど熱い推薦文と共に名を轟かせる、まさにクズ中のクズである。

具体的にいえば、欲望のままに行動する、大嫌いな犬が鎖に繋がれていたら虐待する、妹と結婚して財を手にした義弟と姪を罵倒等々。

 何故こんなクソ野郎になったのかスルーされがちであるが、原作で原因となる話が少しあったので簡単に紹介する。

  • 子爵のクセに影が薄い(三春園女将より)
  • 父親をはじめとする親族の愛情が妹に偏っていた(父と祖父の遺産など)

以上から、根底にあるのはカインコンプレックス(親の愛をめぐる葛藤)と才能に恵まれない自身への劣等感、

陰弁慶な理由は、子爵でありながら他にとりえのないことを、他人にバカにされたくないプライドがあったかもしれない。

 誰にも顧みられない日々の中で、唯一の成功体験(と言っていいものではない)が、「妹をはじめとする女を屈服させた」ことであり、能力や生まれとは別で自分で手に入れることができた力と錯覚し、強烈な記憶となったと私は解釈する。

しかも伯父たちは火消しに回るが横暴を咎めなかった事、一旦は金で解決したことから、自分はそれが許される身分だと勘違いし「財力=権力=何をしてもいい」図式が完成、以降、歪んだこの自信を持って妻に当たりちらしたり、生涯に渡って妹に財産も精神も依存したと思われる。よく、秌子の性依存症が話題になるが、この男も大概だったと思う。

 一応、近親相姦が社会的に許されないという認識はあったと思われる(駒子の口封じをしようとしたことから)

ただ、口封じに目撃者を強姦するのは傷口を広げるだけで、非常に短絡的としか言えない。

自分が力を及ぼせる手段が性行為だけだと思っているのかもしれない、要するにバカ。

【追記】

コメントで「嫁入り前に汚された事実を隠すため」というようなご意見もあり、確かにそれもあると思った。

この時代は、今以上に貞操に厳しい側面もあるため、一般的な家庭の子女であれば、手篭めにして黙らせる事は可能。

しかし、駒子の親が辰五郎という悪知恵の働く男だったため、それは叶わなかったという見方もできる。

 

殺される瞬間まで、自分の行動が原因であり、非があるとは一切思えなかったであろう。

 ここまで業の深い役を誰に背負わせるか悩んだ末、天人くずれで【ゆかり】と因縁がある【てんこ】こと本名、比那名居天子 (ひななゐてんし)を採用した。天子ファンには非常に申し訳なく思う。

痣の表現は何も良い策が思いつかなかったので、帽子の着脱で再現した。

 

椿秌子

 作中でも「狂い咲きの妖花」と表現されているように、現実離れした美貌と男を不健全な気持ちにさせる雰囲気を持つ。

ゆえに、翻案作品では描き方が「悪女」か「憐れな女」かで二分される。

近年(2018年)の作品は前者で徹底的に描いていたので、動画は後者で描いた。

ここでは主に「憐れな女」とした場合で考察する。

 自分の信念や考えは見受けられない、周りからのチヤホヤを快く受け入れてきた描写から、流されやすく、自分に向けられた感情が善意か悪意か全く判断できない女性であると思われる。


また、美禰子が「無邪気」と評するように、秌子は良くも悪くも素直な純真無垢(伯父の愛妾に対して差別意識がない、三春園の女将曰く平民の自分にも気兼ねなく話しかけてきた等々)な反面、自分が必要とされる条件は微笑みを常にたたえて場に添える花であること(金田一曰く、そうしろと教えられたような笑いかた)だという刷り込みがあるよう見受けられる。

よく彼女の知性が問題となるが、それ以上に、周りが恭順する都合の良い女性にしていった事が悲劇を加速させたと思う。

 兄との性交渉が合意か否かで、彼女を悪女とするかしないかの判断が分かれてくるだろうが、私は彼女には合意が成立するほどの意思能力(自己の行為の結果を判断することができる能力)がないと考えている。

だから、利彦との行為には合意がない、16歳の妹に対する性的虐待とみている。

この女には兄の行為が悪意あるものか否か判断する力はないし「これが親愛だ」とか「兄さんも辛いから慰めてくれ」とか適当言っておけば「そういうものなのか」で終了する虞もある。

父親が亡くなった不安も相まって性依存症を加速させたのかもしれない。

そしてこの事を周りもなかったこととして扱ったため、振り返ることもなく根本的な解決が出来なかった、その結果である。

 ただ、それではあまりにも救いがないので、犯人の告白で自己を見つめる機会を得て、理解する頭がないなりに自分で行動し答えを出そうとする姿を描いた、若干クサい表現だったかもしれないが。

余談だが、娘とのオリジナルシーンで「字が綺麗」という設定があるが、それは原作から踏襲した。

 配役は装飾品の関係と「純粋」「周りとの価値観がズレている」などの要素から邪仙【せいが】を採用。

ゴージャス感を出すため改造。焦点あわないあの目については、コメントでのご指摘通り「秦こころ」を参考にしている。

簪につけた宝石の色は【ふらん】と【めーりん】を若干意識している。

 

飯尾豊三郎


 善悪の判断がなく、優れた風采と物に動ぜぬ態度で人を騙す詐欺師。

犯人曰く「天銀堂事件のような大それた犯罪をやらかしておきながら、その反響が大き過ぎると呆れているような男」らしく、ある意味大物。

大切な物はどこかに埋めるクセを持ち、原作では現場を犯人に押さえられ、復讐劇に利用されることになる。

 この犯人像のモデルは、坂口安吾のエッセイ「帝銀事件を論ず」「哀れなトンマ先生」からもヒントを得たのではないかと、私は思っている。

 英輔同様【ゆかり】を採用するが、こちらは堂々とした表情をしている。

 当初、遺体は正面をモザイク処理していたが、生々しいので後ろを向かせた。

 


河村辰五郎

 駒子の父で、元植木屋の親方。通称「植辰」だが、混乱を招くと思い「辰五郎」で表記統一した。

娘よりも何よりも自分の快楽優先の男で、この悲劇の加速装置。

駒子の不幸は、この男が父親だったことにあるかもしれない。

空襲の最中、酔っ払っていた辰五郎は褌一丁で外に出て「もっとこい、もっとこい」とやってるうちに直撃弾に当たって死ぬという調子のいいおっさんで、三春園の女将曰く「いかにも植辰のおっさんらしい最期」とのことである。

 敢えて誰も配役しなかったのは、この親爺が持つ不気味で嫌な感じを出したかったため。

個人的には、こいつが一番クソだと思う。

 

河村治雄

 笑顔のいい愛嬌ある青年だが、子爵の旧友の遺児「三島東太郎」を名乗り復讐劇を繰り広げた「悪魔」こと犯人。

自らを「悪魔に魂を売りわたした」と言いつつ、遺書では非道に徹し切れていない胸中が垣間見えている。

ただし、単に可哀想な人にならないよう、父親の残忍さと母親の魔性を受け継いだ同情できぬ殺人鬼の一面も描写した、少々やり過ぎたが。

 苦労してきた分、生きる力もあり目端が利くため、椿家の財政を支えていた。

椿子爵の遺体を引き取りに行った時、美禰子や一彦に同行している。

 


 異母弟との関わりは原作でも確認できるが(植物の世話を手伝う等)、異父妹については遺書のみでほとんどない。

異性だからということもあるだろうが、過去に異母妹の小夜との思い出から「妹」という存在に積極的にかかわることを避けていたと解釈し、二人が親しいような設定やシーンは入れない決断をする。

しかし、いきなり妹思いの兄であると終盤に描写しても唐突すぎると思ったため、伏線を2つ追加した。

 原作では、背中の痣を秌子に見られたことをきっかけに、金田一から追及を受ける。

また秌子は横浜の別荘でしっかり毒殺している。

個人的に、ただ秌子を殺すだけよりは告白を聞かせる方が盛り上がると思い構成した(2007年稲垣版を参考)

真相に向けての流れは動画にすると分かりづらいので大きく改変させた。犯人の告白は、原作の遺書を参考にまとめた。

 配役は【ふらん】と関わりがあり、無害そうな顔した【めーりん】を抜擢。

人よさそうで温和な反面、火が付いたら何をするか分からない凄みを持つキャラクターによく化けたと思う。

 


【補足1】電気蓄音機

 蓄音機は、声などの振動を物理的な溝の凹凸や左右への揺れとして記録したレコードから、振動を取り出し拡大して、音声を再生する装置である。

詳しい構造については説明しきれないので省略。

 当時の電気蓄音機は真空管を使って動く。

作中で勝手にレコードが鳴るのは、計画停電中、針を置いた状態でスイッチを入れておき、停電が解消されると自然に電気がボックスに流れ、真空管をあたためてレコードが回るからである。


【補足2】フルートの運指

 英輔の遺作「悪魔が来りて笛を吹く」は、右手の中指と薬指を使わずに演奏が出来るという設定。

つまり主に「ファ」「ソ」「#ソ」「ラ」「#ラ」「シ」「ド(高音)」「#ド(高音)」で作曲されている。

制約はあるが作曲はなんとか出来る。

 ちなみに、1951年連載当時は「左手」の指が欠けているとなっていたが、これは作者の誤りである(参照『悪魔が来りて笛を吹く』岩谷書店 あとがき)

もし左手だった場合、「#ラ」「シ」「ド(高音)」「#ド(高音)」だけで演奏しなければならず、作曲は困難。

 作者は当初、息子の友人でフルート作曲に興味を持つ笹森健英に作曲を依頼し、譜面を挿入するつもりだったらしい。

 

【補足3】天銀堂事件のモデル「帝銀事件」

拙筆の、松本清張「小説帝銀事件」のページにて述べているので割愛。

 復旧させました↓

【補足】帝銀事件について

 

【補足4】戦後混乱期の経済と治安

 一般的に、1945年9月2日の第二次世界大戦の終結から、1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争による特需景気まで、または1952年4月28日までのGHQに占領されていた時期は戦後混乱期と呼ばれている。

この頃は700万人にも及ぶ在外日本人の引き揚げもあり、庶民は合法的に配給された食糧だけでは生活財に事欠き生活が困難、ゆえにヤミ市と呼ばれる非合法な市場が全国各地で出現した。

 大都市は食料等の物資が極度に不足し、人々は鉄道を使って郊外へ買出しに出かけたが、戦時中に充分なメンテナンスをされずに酷使された施設や車両、人員により運転された列車は事故を多発し多数の乗客が犠牲になった。

 


 警察組織もGHQの指導の下、内務省警保局による中央集権体制での運営は見直され、地方分権化された(旧警察法)。

しかし警察の地方自治は自治体の財政負担が大きくした。

また、行き過ぎた警察組織の細分化は過度の縄張り争いを招き、広域捜査の困難をもたらす。

そして、国家地方警察と自治体警察が独立対等のため国の治安に対する責任が不明確になる等の問題が発生。

警察は現代よりも当てにならない存在だった。

 


考察

堕胎すれば良かったのか

 そもそも、利彦から仕打ちを受けた秌子と駒子が、妊娠した子をおろしてしまえば悲劇はなかった、二人の人生も不幸にならないし、玉虫も強請られることがなかったのではないかという話もある。

ただ、それで解決できるかといえば物事はそう簡単ではないかもしれない、辰五郎の存在が関係してくるからだ。

 仮に玉虫が秌子を堕胎させたとする。

すると、辰五郎は近親相姦の証拠を失い、生涯に渡り玉虫を強請ることが出来なくなるが、代わりにマスコミに情報を売って大金を得ようとするかもしれない。

そうなると玉虫と新宮の両家はスキャンダルまみれになる。

華族は宮内大臣と宮内省宗秩寮の監督下に置かれ、皇室の藩屏としての品位を保持することが求められており、私生活に不祥事があると宗秩寮審議会(華族に関する重要事項や懲戒、礼遇を宮内大臣への報告する会)にかけられ、場合によっては爵位剥奪・除族・華族礼遇停止といった厳しい処分を受けていた。


たとえ権力や金の力で審議会を封じたとしても権威に傷がつき、政界での玉虫の力は弱体化必至。

しかも辰五郎という外野が「口封じしようとした新宮が俺の娘を手籠めにした」と騒ぎ、証拠として妊娠・出産して子供を持つ駒子の存在を出したら、辰五郎が当時の使用人たちを買収し証言させたら等、今度はそちらの対応に追われる。

では辰五郎を殺してしまえばいいかというと、動機があり過ぎて足がつく危険の方が大きい。

 何が言いたいかと言うと、火消しの為にかかるコストが大きいということである。

華族関係、政界、マスコミ、辰五郎と四面楚歌になるよりも、辰五郎に金を渡し続ける方が失うものが少ない、しかも辰五郎は将来が安泰になる、双方にとってそれがベストではないか、こうした話合いがあってもおかしくはない。

辰五郎は禁忌の子を預かり世間に公にしない代わりに、生涯遊んで暮らすことが出来る。

玉虫は決定的な弱味を握られるが、辰五郎さえ黙らせておけばスキャンダルが漏れることがない。

駒子に子をおろさせなかったのも、辰五郎が近親相姦があった事実の証拠を念のため残そうとしたからかもしれない。

 結論をいえば、小夜と治雄は双方勢力の地位のための保険として生かされたといえる。

自分で考察しておいてなんだが、ゲスな発想をして嫌になる


近親相姦を「禁忌」とする根拠と反証

近親相姦をタブー視する根幹となる主張はいくつかあり、反論も存在するので紹介する。

 

①遺伝学的観点

 近交弱勢を避けるため。

前述したスペイン・ハプスブルク家も近親婚を繰り返し、遺伝系疾患を持つ子孫が多く生まれて断絶した。

【反論】

近親婚と遺伝系疾患の関係を検証するにはデータが少なすぎる。

そのような子が生まれても公にされないため実際はどうなのか分からない。

 

②生物学的観点

 近親者への性的関心の欠如、心理的嫌悪、文化的拘束、遺伝学的知識に基づく近親交配の忌避などによるもの。

有性生殖の動物の多くは近親交配を避け、近親相姦の嫌悪は一般的にありうる(ウェスターマーク効果)という研究結果もあり。

【反論】

男性は母親に似た女性、女性は父親に似た男性に惹かれる傾向があるという研究結果(ハンガリー国立ペーチ大学)。

文化によって近親の定義も禁止範囲も様々。

アダクチリディウムなどのダニの複数の種類、ギョウチュウ、様々な種類の昆虫は日常的に近親交配を行う。

 

③人類学的理論(族外婚の推奨のために近親相姦を禁止した)

 構造主義(レヴィ=ストロース提唱)より、人間社会を女性(結婚)、財貨(経済)、情報(コミュニケーション)の「3つの交換のシステム」とみなし、族外婚は社会的関係の輪を広げていくという考え。

王族や神々が平然と近親相姦を行うのは「財貨の目減りを防げるため」であることと、「交換」のサイクルから外れた絶対者であるからとして説明した。

【反論】

人間の性は「文化」と「自然」とではっきり分けることはできない。

女性が交換要因とされることの根拠がない。

資本主義で失われた「交換ならざる贈与」の存在を無視し、「交換」と「贈与」の概念を峻別していない。

 

④心理学的観点(家族内のあらゆる性的表現を規制するルール)

 性にまつわる対立をなくすため、子供の社会化を促すため、核家族の解体と新しい家族を製造するためにタブーが存在。

【反論】

家族限定であり、親族に対するタブー適用の説明には不適切という側面がある。

 

 以上のように、近親相姦がなぜ禁忌なのか説明するのは案外難しい。

実際、私も近親相姦に対して嫌悪感はあるが、それがなぜなのか上手く説明できない。

それに、近い親族とそうした関係になることに違和感を感じない人がいるのも事実である。

ただ、自分も社会的もタブーとする行為をさせられた場合、その人物は社会とのずれを自覚し、自己の存在意義に否定的になり、それを「罪」として苦しむ要因になるのは確かであると思う。

 



最後に

 こうした復讐劇の物語を読むと、犯人や当事者たちはどうすれば良かったのかという考えをめぐらせる。

しかし、それはどうしようもないことだと、いつもその結論に至り虚しくなる。

 もし駒子が強姦されずに済んだら彼女は不幸にならなかったと思う一方、では小夜はこの世にいてはならない存在なのかと言われるとそうではない、治雄も然り。

そして、治雄と小夜の関係が不純なものとも思いたくなかった、そこに確かな愛があったと思う。

だがそれゆえ誰かの大切な人(異父妹の父、異母妹の母)を犠牲にすることの正当化にはならない。

翻案を通して何か答えを出そうとしたが、結局それは出来なかった。

  今回はエンコードを真剣に行ったため、画質が少しだけ向上した。

同時に時間がかかる、最終回にいたっては1回で7時間弱かかり、さらにはパソコンのフリーズに苦しめられた。寝ても覚めてもエンコードの日々。

それを乗り越え投稿した動画に音量ミスと字幕ミスを発見した時は、もう笑うしかなかった。

あと、展開が早くて申し訳なく思う。

 しかし、多くの方に視聴いただけたのは大変嬉しい。

是非これを機会に多くのゆっくり系動画、横溝作品に触れて頂けたらと思う。

 


【参考】

・横溝正史『横溝正史自選集 5 悪魔が来りて笛を吹く』出版芸術社

・横溝正史『悪魔が来りて笛を吹く』角川文庫

・横溝正史『本陣殺人事件』角川文庫

・横溝正史『華やかな野獣』角川文庫

・『映画秘宝EX 金田一耕助映像読本』洋泉社

・TBS『横溝正史シリーズI・悪魔が来りて笛を吹く』石森史郎 脚本、鈴木英夫 監督

・東映『悪魔が来りて笛を吹く』斎藤光正

・フジテレビ『金田一耕助シリーズ・悪魔が来りて笛を吹く』佐藤嗣麻子 脚本、星護 演出

・小田部雄次『華族-近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社

・歴史読本2013年10月号「特集 華族 近代日本を彩った名家の実像」歴史読本編集部

・原田武 『インセスト幻想 人類最後のタブー』 人文書院

・山内昶 『タブーの謎を解く―食と性の文化学』 筑摩書房

・スーザン・フォワード 『毒になる親 一生苦しむ子ども』 玉置悟 訳、講談社

・島田 雅彦『100分de名著 ソポクレス「オイディプス王」』NHK出版

・YAMAHA『楽器解体全書』より「フルートの運指表」

・エリック・シャリーン『図説 世界史を変えた50の機械』柴田 譲治 訳、原書房

・ 田上穣治『警察法』(法律学全集12)有斐閣

・国会図書館「史料にみる日本の近代  乱闘国会と衆院事務総長の嘆き」

・村上しほり、梅宮弘光「戦後神戸におけるヤミ市の形成と変容」神戸大学

 

 

 

 

【追記】コメントありがとうございます!

拙作動画で原作に興味持っていただけて嬉しいです!

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コメント: 4
  • #1

    (´・ω・`) (火曜日, 11 12月 2018 13:04)

    大変面白く読ませていただきました

  • #2

    本家様視聴者より (金曜日, 28 12月 2018 18:37)

    楽しく視聴させていただきました。パート3からは動画から目が離せず、一気呵成という感でした。
    本シリーズの影響で、原作の金田一耕助シリーズを読み始めました。思ったよりずっと読みやすくて面白いです。

  • #3

    ウルスラ=黒虎 (月曜日, 31 12月 2018 13:36)

    こんにちは。ウルスラ=黒虎です。
    ずいぶん前から、こちらにネタバレ感想コメントを書くと申しておきながら、今になってしまい、ごめんなさい。
    非常に読み応えある編集後記を、ありがとうございます! ゆっくり『マクベス』の紹介もして下さって、心から感謝しております! 艶っぽい役のまりさ……うちのまりさ@マクベス夫人、艶っぽいでしょうか!? そうだったら嬉しいし、顔が赤くなります!
    ゆっくり文庫さんもおっしゃるとおり、まりさはまさに大女優ですよね。女性役も二枚目も色悪も、この等々力警部のような探偵物語の要となるおじさん役もしっかりとこなせる。文庫版とはまたひと味違ったきめ田一&まりさ等々力コンビ、とても素敵でした。

    『悪魔が来りて笛を吹く』未読だった私は、陰惨な物語ではありましたが純粋に謎を解く楽しみも味わいました。
    陰惨きわまりない物語も、美禰子の強さ聡明さ美しさ(原作で不美人設定でしたが、彼女の人柄はたいへん美しいと思います)、そして華子&一彦母子のまともさ善良さのおかげで、つくづく救われました。
    真犯人の予想は当たりましたが、むしろメタ的な要素(第2話、真犯人の偽証の音量が大きくなる)からだったので、純粋に謎解きできたとはいえないかも……。ドラマでも映画でも、キャスティングで犯人の目星が付いてしまうなんてことはよくありますが、こちらでは良い意味で誰が犯人か分かりづらく(犯人だけでなく周りのキャラも大物&曲者揃い!)、そういう意味でもエキサイティングでした。
    また、私はわりと物語が進むまで(第4話あたりまで?)実は小夜=菊江ではないか――つまり、実は小夜は生きていて、治雄と共に屋敷に入り込んで復讐に来たのでは――と妄想してしまってました。よく話を読んでいればそうならないのですがね。ありすに引っ張られたかな? ありす演じる菊江ははまり役でした!価値観はよっぽどまっとうな彼女は勿論、破廉恥そのもののように見えた目賀先生(かなこ好演!)さえ、旧華族連中に比べればまだ「こちら側の人」だった、というのが、いっそう物語の闇を際立たせます。

    第2話時点では、私ははじめ、利彦はコンプレックスを抱えたがゆえに転落した人なのか、と考えていましたが、結局、単に自分の問題が何なのか、自分の行動がいかに非道であるかを全く理解できていない人物だったと提示された時には、絶句しました。確かにごくまれにこういう、自分の有害さが分からない、説明しても通じない「ただただ有害な人物」はいるのでしょうが……。てんこは難しい役を見事に演じていたと思います。そしてせいが@秌子が本当にはまり役で……!美しくて愚かで、あまりにあわれな女。後で原作を拝読しましたが、特に終盤はスケキヨ版のアレンジが実にすがすがしく感じられました。母も子も、救われたように感じられたのです。

    長文の感想になってしまい申し訳ありません。
    これからのスケキヨ版ゆっくり文庫を、楽しみにしております!
    どうか良いお年を!

  • #4

    ニコ動ななし (土曜日, 05 1月 2019 20:30)

    ふ、深いー!
    後記までうp主さんが物語を深く掘り下げていらっしゃって、本当に尊敬します。しかも面白い。

    私は学生時代に金田一シリーズを読んだのに、エンディングがちっとも思い出せません。
    ただ読むだけでした。
    ゆっくり文庫さんやスケキヨさんの後記を読んで、
    「お二人みたいに掘り下げて読めば、心に残ったのかも…」
    と、無為に時間を過ごしたことを後悔しております。

    救いのあるオリジナル改変に心救われました。
    次回作も楽しみにしています。