ジョジョの同人ゲーム「7人目のスタンド使い」のやり込み要素のひとつ ※カオスモードでの実況動画。
2017年7月~2018年8月まで作製・完結。
主人公は18種類の主人公スタンドの一つ「キャラバン」の使い手、金田一(かねだ はじめ)。ボケ倒すをモットーにしていたが、終盤が近づくにつれ真面目な内容になる。
「7人目のスタンド使い」とは
クレイマン氏作のRPGツクール2000製のフリーゲーム。
ジョジョの奇妙な冒険第3部「スターダストクルセイダース」の世界を舞台に、スタンド能力に目覚めた主人公が承太郎たちと共にエジプトを目指す。
物語はジョジョ第3部を忠実に再現しつつ、主人公の存在は原作を壊さず自然な形で紛れ込んでいく。
メインストーリーは第3部だが、第1部から第8部までネタが絡んでいる。
※カオスモードとは
ver2.5試作版から追加された特殊モード。
文字通りカオスな状況がランダム、あるいはフラグ建てで巻き起こる。
原作や通常モードを知っていた方が面白い。
図は、花京院のハンカチ誤字が、現実になってしまったカオス。
この後天然化した承太郎にいじられ続ける悲劇が彼を待っている。
他にも、ポルナレフが店員のフリをすることもある。
【ゆっくり実況】7thJOJO 金田一の冒険
キャラバン使いのエニアグラム的な性格診断「7w6」
基本的に社交的で明るいが、心に不安を抱えて
意外に慎重だったりと、二面性がある。
個人的に、このタイプは常に最悪の状況を想定して行動し、
考えを落ち着きなく変えているよう見せながら、実は深める、油断ならぬ策士が多いと思っている。
作者のクレイマン氏は第2部「戦闘潮流」の主人公で第3部で承太郎の祖父として登場するジョセフは「7w6」なのではないかと判断している。
主人公・金田一
名前の由来は、デフォルト名「金田」と、
自称じっちゃんの孫・(元)高校生探偵「金田一一(はじめ)」から。
当然だが、この兄ちゃんは推理とかしない。
学校さぼり気味、やれば出来る子設定は、じっちゃんの孫にちなむ。
周回プレイで、↓少しネタバレ反転
主人公の母親がツェペリ家と繋がることを示唆されるが、
本実況動画ではカオスモードの要因で家族全員、戦闘力が高そうな雰囲気を醸し出す異常事態になった。
それによりキャラ設定に難儀したが、終盤は開き直って編集。
あまり使命や血統に拘らず、その場の最善策を採る人間で描いたので
少々ドライな性格になってしまったかもしれない。
私見だが、主人公はクラスの賑やかし的ポジションにいそうな為、
スタンド発現以前は承太郎とあまり会話してこなかったと思う。
女好き特性をつけたため、女性にモテる仲間を羨むシーンを入れたが
言うほどチヤホヤされたいように見えないのは、私だけでしょうか。
気の強そうな年上の女性を好みそうな気はする。
このゲームはエンディングによって10年後が出てきたりするが、
一くんに限らず、このタイプは経営者のほかに、
国連の紛争調停官とかも出来るんじゃあないかと思う。
あと、処世術を最大限活用できれば、大きな組織の中でも埋もれず、
いつの間にか凄い出世していそうで怖い。
キャラバンというスタンド
エセ関西弁で話しかけてくる、色々と異色なスタンド。かわいい。
アヴドゥルのスタンド「魔術師の赤」の引き締まった体に嫉妬が隠せない。
スタンド相手に攻撃が通らない、「限界を超える」系の技がない等で、
扱いにくいと言われているが、戦闘の創意工夫(?)が出来て楽しい。
私は周回な上、波紋技も使え、苦労がなかったので参考にならないが……
敵に物理属性攻撃が効くか否かを把握すれば対策は十分出来る。
潜水艦ルートは対人なので、キャラバンの真価が発揮される気がする。
個人的に、「スタンドが喋る」「本体に対価を求める」という点で、
原作5部の登場人物ミスタ(4)の「セックス・ピストルズ」が思い浮かぶ。
原作との登場人物たちの差異(注意:キャラクター崩壊)
承太郎→天然化、登場早々で土下座を見せるほど腰が低いキャラに変貌。でも、何してもかっこいい。
ジョセフ→寒いギャグ要因など原作準拠なボケ。周りがボケるせいで一番シリアスを担当していただいた。
アヴドゥル→柔らかい口調になる(但し、対ポルナレフを除く)ボケの傾向はメタ発言。占い師だからね。
花京院→カオスでより敵に対してえげつないキャラに。キレ芸と豊富な知識責めを得意とする。
ポルナレフ→ナルシスト発言とトイレ以外はツッコミ担当。一度だけ跡部様の歌を歌う。
イギー→人間臭さ発揮でシュールな笑い担当。コーヒーガムを愛する誇り高き庶民派帝王。
DIOの刺客→全体として常識人か原作準拠。顕著に変わり果てた場合は下に示す。
グレーフライ&デーボ→カオス被害者。デーボは「ボーイじゃない」という痛快ギャグを披露。
マニッシュボーイ→弱冠0歳にしてワンピース等のアニメと声優の知識を見せる。うろジョジョも視聴済み。
ンドゥール→犬好きになる。
マライヤ→恥じらいある乙女になる。
DIO→ボケるのを我慢していた節がある。
最凶兵器 アバ茶
運命の車輪戦で、ターン経過で主人公のスタンドによりイベントが発生することがあるので、アバ茶で様子見していた。そして、アバ茶でゴリ押せそうだったので続行した。
この回の動画、大変好評で嬉しかった。「お茶回」タグは笑った。
私のことをアバ茶の人と呼んでくださった稀有な方には感謝申し上げたい。
蛇足だが、私はジョジョのキャラクターの中では、アバ茶の発案者(?)、第5部のアバッキオが一番好きである。
渾身のポーカー対決
編集当時、ダービー(兄)戦のネタバレはしてはならないと思っていた為、
どうお茶を濁そうか悩んだ末、こう考えた。
3択―ひとつだけ選びなさい
答え①ハンサムなポルナレフは突如ダービーの猫を買収し勝利する。
答え②コブラジョジョの如くただのギャンブル好きのおっさんにする。
答え③いちからギャンブル戦を考える。現実は非情である。
おれが〇つけたいのは②だが、あれはコブラチームだから許される(?)展開で
素人が手出ししていい代物ではない。やはり答えは……①しかねえようだ!
がっ……駄目っ……!雀キチ(麻雀狂)アピールをしておいて、今更そんな逃げは出来なかった。答え③―現実は非情である。
というわけで麻雀対決を検討するが、ルール、役、点数の説明だけで話が複雑になるし、私も面倒だったので断念。
そこで、「7人目のスタンド使い」の内部データに素晴らしいトランプがあるので、勝手ながら使用させていただき、ポーカールールを「テキサスホールデム」に変更して、心理戦を生み出すことにした。
動画内でのダービー、金田の負け方は実体験をもとにしている。ついでに悲しい思い出も供養。
ただ、ゲーム内容を考えるだけで1週間、動画構成を考えるだけで2週間、妥協できる編集にするまで3週間近くかかる。
そのうち「今と思った瞬間過去になるのに、これを今の俺といえるのか」みたいな妄想に憑りつかれて頭がアホになった。
だから、神回タグがついた時は本当に嬉しかった。「ありがとう」……それしか言う言葉がみつからない。
この先、ジョジョ原作、ゲームのネタバレ注意!
運命は変えることが出来ないのか?
言ってしまえば、ホイホイ変えることは出来ないが、運命を出し抜く形でなら……という感じである。
もちろん、これは私の解釈であることを断っておくし、何千回何万回とされている議論で目新しくもない。
「7人目のスタンド使い」には、DIO以外のラスボス「黒幕」の存在がちらついている。
彼女曰く、人間の運命はあらかじめ決まっており、それは努力しようが善行を積もうが決して変わらない、
人はみなそれに従って生き、死ぬ、「運命の奴隷」であると。
いわゆる運命予定説を唱えて、第3部の世界に介入した主人公(プレイヤーの分身)を殺そうとするのだが……
「運命の奴隷」という言葉は、ジョジョ第5部「黄金の風」にも出てくる言葉で、
運命だろうと正義を捨てず突き進むことで、誰かに希望を伝える可能性を秘めた「眠れる奴隷」である主人公チームが
眠りから覚め、戦い続ける物語となっている。その考えは、第6部「ストーンオーシャン」にも反映されている。
話を「7人目のスタンド使い」に戻すと、原作世界では死ぬ運命だった仲間を全員助けることは容易でない。
普通に進めると「友好度」が高い仲間のエンディング(以下、ED)にいくので、そのままDIOの館に突入した場合、
一人だけ生存はEDによって可能だが、仲間全員となると条件や、運命の仕組みを理解する必要がある。
全員生存は、人によってはスッキリしない形での戦闘となる上、神経を使う。仕方ない事だが。
(2018年10月現在。今後、もうひとつ全員生存EDを追加予定との事。ただ、作者には無理し過ぎないでほしい)
では、原作では死んでいた仲間EDの時、
主人公は運命の仕組みを詳しく知らないのに(周回してるから云々は置いて)なぜ、生存をさせる事に成功できたのか。
私の考えを申し上げると、主人公の無意識の行動が運命にも予測できなくて、それが招いた結果だと思っている。
運命予定説でいけば、主人公が運命を変えようとすれば、運命もまた不変であろうと抵抗するので、
それを上回る対策を練らなければならない。冒頭で言った、運命を出し抜くというのはこの為である。
運命が云々はよく分からないが、不可知の運命を怖れず、苦難の道を進むことへの覚悟を持ち、
一切の手加減なく行動したそのエネルギーが、死ぬはずだった仲間に(友好度という形で)向けられた、
それがアヴドゥル、花京院、イギー各々のEDだと思っている。
ただ、全員となると相当の力が働かねばならないので、運命への傾向と対策が必要になる。
しかし、仕組みが分かったとして、実践した先の結果がどうなるかは、当事者たちも分からない。
それは運命にとっても同じことで、よく分からないことが起きて、結果抵抗できなくなったとも考えられる。
そして、運命を出し抜こうが出し抜けまいが、実行して起きた結果を受け入れる覚悟があるのか……
大きなリスクを伴う上、どんなに犠牲を払っても相手(運命)をコントロールすることは絶対に出来ない。
だが、思いや希望を捨てずに貫いた心や行動の積み重ねは、思いがけず何かを動かす力になる。
以上のようなことを、ジョジョの原作や関連する作品、このゲームに私は感じている。
ただ、「運命を変えるのもまた全て運命だ」と言われてしまえば、私はそうでない事の反証は出来ない。
しかし仮にそうだとしても、志や覚悟の行動は無価値なものにはならないし、それが無駄だと評価されるいわれはない。
実際、運命は本当はどうかなんて分からないのだから、やれる事はやっておくのがいい。
運命云々より、後悔の方が人の心に陰を落とすと思う。
【参考】
・「ジョジョの奇妙な冒険」荒木飛呂彦(集英社)
・「7人目のスタンド使い」クレイマン 及び氏のツイートから
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